ダメ出しと「自由表現」

小原流いけばなを始めて14年半。
何年経ても、先生からダメ出しをいただく……。
以下は、進級審査などのために月に1度設けられている研究会のためのお稽古でくらったダメ出し。

研究会は、月に1度、級ごとに決められた[型][花器][花材]で一斉に50分で生け、点数がつけられる(点数は100点満点、5点刻み)。
写真は、小原流東京支部、7月、二級の研究花材。
「[型]自由表現」
「[花器]まどか」
「[花材]曲がりアリウム3、ニューサイラン(赤)2、向日葵2」←花材はすべて使いなさい、ということではない。これが、また悩み。

「始点と終点がなっていない。力が弱いね」

「これじゃ、アリウム、ただ置いただけでしょ」

「線がぐちゃぐちゃ。アリウム、こんなにポキって折れているのが見えたら駄目でしょ」

「う〜ん。この花器の中だけでおさまっちゃってるね」

「自由表現」とはクセモノで、型がない。散々、この型ならば、この長さ、この角度と厳しく言われ続けるも「自由」といわれ、途方にくれる。型がないけれども、評価のポイントはある。
そんなわけでのダメ出しが続くのだが……。

お稽古2回目。さんざん考えたのがコチラ(自宅にて再現)。

最後に粘って、考えた形。
厳しいダメ出しはするけれど、できた時はちゃんと褒めてくださる先生が、「私も写真撮っておく」(サイコーの褒め言葉!)と言ってくださったのがコチラ(自宅にて再現)。

「やめよう、自慢」カテゴリーになりそうだけれど……。
いい年齢になってもダメ出しをしてくれる人がいることに感謝すること、そしてダメ出しを受け入れるには自分自身が、謙虚な気持ちをもつ必要があるということを記しておきたくて。

ちなみに、私が小原流いけばなを続けられた理由のひとつが、「小原流いけばなビギナーズスクール」

その当時、今の職場ではなく、仕事場は神保町(スクールと同じ沿線。片道15分)。「いくらなんでも週に1度は、このシステムなら通えるだろう。仕事が終わらなければお稽古に行って戻って仕事しよう」と1年8ヶ月学び、そして現在の先生に師事し、小原流いけばなが生活の一部になった。

ちょっと? かなり長い ひとりごと。
7月、高校時代の部活仲間と再会したり(30年ぶりの人も!)、誕生月を経て、しみじみ。
わお! 8月到来。

[制作:呑猫]

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