ハムコさんの7月の投稿のとおり、
ムサビ通信のお引越しムサビ吉祥寺校は、本学発祥の地です。帝国美術学校としてここで誕生しました。敷地内にはうどん工場もあったとか。やがて敷地の半分は、法政大学中学高等学校に譲渡され、ムサビと法政は仲良く並んでいました。学校の前の道路は「法政通り」という名称でした。その後、法政の土地にはマンションが建ち、道路は「美大通り」になりました。しかし、ついにムサビは、この地を去ることになりました。さらば吉祥寺(涙今週半ば、通信研究室と通信事務部は、鷹の台校に拠点を移しました。これまで吉祥寺校2号館は、1階が通信事務部、2階が出版局、3階が研究室という配置で、特に事前に打ち合わせの約束をしなくても、階段を上ったり下がったりして...
来年3月ごろ、出版局は吉祥寺校から鷹の台校に移転予定です。
1929年に武蔵美の前身である帝国美術学校が誕生してから、
(ほぼ)武蔵美はじまりの場所としてあった吉祥寺校がなくなってしまう。
週末の通信教育課程のスクーリング以外はひっそりした吉祥寺校で、
最後に立ち会うのは貴重な経験とも思います。
吉祥寺校は古いまま残っている場所が多く、校舎を愛でながら歩きます。
3号館の亀甲網の入った窓は
ガラスも網も均質でなく、すべてがゆらいでいて、
網の縦ラインのねじねじやガラスにうつる人影の出方まで、とてもよいです。
新宿西口広場のタイル的なものはいつまでも残ってほしいと思いつつ、
こうしてどんどんなくなってゆく。まぁ窓は機能がだいじではある。断熱、遮熱、ペアガラス。
編集:ナジオ
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