『音楽論』のいかした風貌です。
こういう顔で書店に並びます。3月上旬〜中旬あたりでしょうか。
『音楽論』第8章「音楽を語る」の第1節は「言葉で音楽を体験する」というテーマです。
そして次に引く一文は8章の著者である白石美雪によるものです。
(長い論考の中の一文を引くのは先入観を与えることになるかもしれず、編集担当としては注意深くありたいところです。でもこれは「音楽を語る」人の、覚悟と自負に触れるところではないかと思い、ちょっと引用しちゃいます。この前後にもあえて引用しなかったかっこいい文章があります。それはぜひ本の中で。)
「評論とは知的な分析と直感、そして音楽のもたらす感動が交わるところに成立する。評論家は短い文章の背後におのおのの前提を背負っている」
ある音楽評論を読んで、そこで語られた音楽体験(たとえばマタイ受難曲とか?)に胸をときめかせ、いそいそとCD屋さんへ出かけ、同じ指揮者、同じ楽団の「マタイ受難曲」を購入し(なければ注文し)聴いてみる。
なるほど!! と思うこともあれば、違うぞと思うこともある。違っていることが面白くて、そのわけをあれこれこれ反芻する。
つまり言葉で音楽を体験し、さらにもう一度、音楽を体験しているわけなんですが、それがなんでこんなに独特に楽しく充実した時間であるのか、と思う。
それはつまり、評論家が、音楽学者が、自身の存在を賭して音楽を語ろうとしているからなんだな……ってことを実感したわけなんです。
編集:t:eeh
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