いただいた御原稿は一気にガーッと読む。
まずは一気呵成に読む。
気になる箇所には線を引いたり、
「加筆依頼」と四文字熟語を書き込んだり、
「トル」というカタカナ2文字もよく登場する。
何百頁もあるときは、ひとまず30枚程度を
こんなふうに拝読してから、
その後の方針を考える。
2回目はゆっくり。
再考のお願いがあれば青ペンや鉛筆で、
できるだけ丁寧にその理由も書き込む。
こうなると、著者とのやり取りは「紙」のうえ
だけで行っていくことになる。
同時に、表記統一も提案していく。
「気の済むまで」
「気のすむまで」
どっちも同じではないか!と怒られることも
しばしば(笑
100年前、1917年は大正6年のベストセラーは、
倉田百三『出家とその弟子』岩波書店
ゲーテ『若きエルテルの悲しみ』泰豊吉訳、新潮社
島崎藤村『幼きものに』実業之日本社
河上肇『貧乏物語』弘文堂書店
というデータがあった。
読んだことはなくとも「知ってる!」という
本ばかりなのは意外だが、
この頃には、「表記統一」という考え方は
まかり通ってはいなかった(ように思う)。
漱石なんかも岩波の全集が出る前のは、
ぐぢゃぐぢゃで、あて字だらけだった。
「100年たったらなくなる職業」という話題が
ちょくちょく出るけれど、編集という仕事は
100年前もあったし、今もある。認知度は低いが、
100年後もありそうな気がする。
黒子的な存在の仕事は、案外しぶとく残る?
100年前の編集者は何に悩んでいたのだろう、、、
根本的な悩みは同じかな。
[編集:ハムコ]
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