2009年5月から6月にかけて武蔵野美術大学美術館・図書館(当時は武蔵野美術大学美術資料図書館)で「石元泰博[多重露光]展」が開催されました。そのとき、企画監修した森山明子先生が使われたのがこのコピーです。
翌2010年『石元泰博 写真という思考』をmaupから刊行した際、本の帯にこのコピーをお借りしました。石元さんにぴったりのコピーだと思ったからですが、その石元さんが2月6日に亡くなられ、2月12日、13日に通夜と告別式がありました。
バウハウス美術館では1月18日から3月12日まで桂展が開催され、日本でも春から各地の美術館で石元さんの展覧会が開かれる予定でした。
これは、本上文士さんが偶然ベルリンの地下鉄で撮ったものです。
石元さんの写真を見るたびに、バウハウスからニューバウハウスへと繋がるモダンデザインの造形理論の精華だと思い、でもそれだけではない、もっと深い名も知れぬパッションが写真の底に潜んでいるようで、これは何だろうと繰り返し飽かず眺めます。
これほどの写真を撮る方はどれほどの孤独・孤絶を抱えているのだろうと一方で思い、いやいや石元さんはそんな生温い感傷をもっとも嫌うに違いない、孤独という言葉などばかばかしい峻厳な世界に生きたのだと思い返します。
「モダンの極み、モダンを超える」
そのコピーのとおりに、高い頂きに、モダンの極みに立ち続け、とうとうほんとうにモダンを超えてしまわれたけれど、石元さんの写真はこれからもずっと生き続け、特別な何かを「贈り物」として届けてくれる。春からの展覧会にせっせと通うぞと思うt:eehでした。
編集t:eeh
コメント
そうだね。
水平垂直のモダンデザインは、
コルビジュエよりも前に日本の桂にある、
みたいな使い古されたモダンから、
今こそ抜け出さないと
石元先生に申し訳ない。
お通夜の挨拶でも磯崎新さんが、他の誰でもなく石元泰博の目が桂を見抜いた、石元泰博の写真が建築としての桂を世界に問うたのだ、というようなことをおっしゃっていて、石元さんが見抜いた桂とはなんぞやと思う。黒々とした有機的な何者かがそこにはあるように思うので。それがモダンをはみ出すものなのか、それとも、それこそがモダンの本質なのか、それが知りたいと。
はっ。そういえばお通夜のご報告を出版局の皆さんにしていなかった….。
いかん…..。